日本との違い

私が出産した病院はシンガポールのど真ん中にある総合病院。何が違うってシステムから違う。シンガポールの病院は個人のクリニックが病院の中に存在しており、Drへの支払いと病院への支払いは全く別物になる。普段の診察はクリニック。でも分娩、入院は病院でするという日本人にはめんどくさいシステムなのだ。そのため、入院の予約も病院に行って受付しなきゃいけないし場所もまったく知らない場所でややこしい。
分娩室も入り口を入ると8部屋ある。ドアをあけると、ナースステーションのような一角があり、そこに分娩予約をした書類を提出するだけで各部屋に通され医師との連絡など看護師、助産師が対処し、物事が進んでいく。そして出産で立ち会ってくれた助産師、看護師とは出産が済むともうそこでサヨナラなのだ。。。なんとさびしいこと。
産科病棟は結構広い。個室と二人部屋とある。新生児室もある。昼は母子同室だが夜間は完全に母子別室。しかし、日本との違いはベビーが泣いたら深夜であろうと起こされて母乳をあげなくてはならないということ(泣かなくても3時間ごとにやってくる)。ここの病院は母乳育児推進病院らしく、母乳育児を積極的によびかけている。そのため、看護師の母乳育児のスペシャリストが何人かいて常に母乳はでているか、きちんとあげられているかチェックしにきて気軽に相談にのってくれる。しかも毎日母乳育児講習が朝10時からやっていた。わたしも参加してみたけれどすごい上手だしわかりやすい。あげ方を見てちゃんと指導してくれる。手慣れない若いママたちも上手にあげられていた。日本も産科にも常にこういうプロが一人いるといいな〜と思った。わたしは「問題ないわよ〜」って言われたけれど…
部屋に関しては日本人は個室にするひとが多いらしい。まぁ他の国の文化の違う人と同室になってもこまるけれど、私は二人部屋にした。だってただでさえ高いんだもーン。個室には冷蔵庫、旦那用のソファーベッドがあるみたいだけどね。でも旦那までしか泊まれない。子供もほかの人も論外。うちはアニーがいたしどっちにしても泊まれなかった。私は中華系シンガポーリアンの女性と一緒になった。しかもその人も二人目。ただ無痛分娩で今回は10時間もかかってしまったらしく疲れた様子だった。面会時間は20時までなのだけど、面会者は結構遅くまでいる。でも誰も何もいわない。さすがシンガポール
隣の女性は入院中いろんなこと教えてくれた。中華系は産後食べてはいけないもの、やってはいけないことが多々あるらしい。日本にも床上げというものがあるように中華系は1か月水にふれてはいけないといういわれがあるらしくシャワーも浴びれないんだとか・・・(かわいそう)、食べていけないものに豚肉、ダック、牛肉、キャベツとかの葉物、トマトなどなどすごくたくさんあった。いったいどこまで守れるんだろう〜。。。
入院期間は2泊3日がフツーの例。ただ、この国は赤ちゃんの黄疸のチェックが厳しく子供だけ退院できない場合が多い。幸いシュウはそのチェックを突破し一緒に退院した。あ、そうそう食事に関してなんだけど、はっきり言っておいしくない。でもすごいのはメニューが多様に用意されていること。ベジタリアン用、中華系、洋風、インド系などメニューが必ず何種類かあって(飲み物も選べる)前日に提出すればそれが各々に届く。一気に全部のメニューを見てみたかったなー。私はいつも洋食だったけど・・・ちなみに他の病院で日系の病院が入っているところには、かつ丼があるって聞いた。。。日本食はヘルシーだから絶対いいとおもうんだけどねー(笑)

思い起こせば4月6日

出産日から3週間経ちました。私もベビーも元気です。ベビーにも名前がつきここで本名は出せませんが『シュウ』と紹介させてもらいます。どうぞ皆様よろしく♪日々の事に追われ、忘れてしまわぬうちに出産日のことをツラツラと書いてみようかと思います。

4月5日朝におしるし、といういわゆる出産間近といわれる出血が朝にありました。その日は土曜日。旦那様は仕事に既に出た後で、休みのアニーと起きたのは7時半ごろ。トイレにいって出血していると確認はしたものの、さすが二回目、焦ることもなく朝食をフツーにとってゆったりしてから旦那様に連絡。すると「帰る…」って。え!?まだ仕事いったばっかりですけど?

私: 「まだ痛みとかなんにもないし・・・ぜんぜん大丈夫だよ」
旦那: 「でもすぐに帰れないし帰る」(仕事場から帰宅するには1時間かかるので)
私: 「あ、そう・・・」

というわけで、旦那様11時近くには帰宅。
でもまったくそれ以降なにも変化なし。お腹の痛みもほとんどなく、フツーにすごす。夜になるけどまったく変化なく、しかしグッスリ眠れない。時々痛みなのかよくわからずお腹に違和感あり。
4月6日の朝、おしるしの出血がさらに量が増えている。いよいよ来るといった感じ。でも夜から続く違和感のような痛みのようなものが不定期でたまにあるくらいで全然動けるのでアニーとコンドミニアム内を散歩。その日は朝から天気よくプール日和だったので散歩後アニーはパパと10時半ごろからプールへ。わたしはとりあえず入院用意の確認をしておく。1時頃友達とプールサイドでしゃべりながら時々痛みを感じる。お昼はお弁当を作っていったのでプールサイドで食べ、また遊んでいると別の友達ファミリーがやってきてママ同士おしゃべりしていると生理痛のような痛みが少しづつ増えてくる。でもまだ余裕あり。。3時頃いい加減痛みの回数が増えたので時間を見てると10分おき位になっている。まだ遊びたがるアニーを説得し、帰宅。暑かったのでシャワーを浴び着替えてDrにTEL。

私:「えーっと先生陣痛が10分おきくらいなんですけど、まだ余裕あって・・・」
Dr:「あらそう、んーまだ動けるならもうちょっと家にいて。でも痛みがすぐに強くなる
場合もあるからね、そうなったらすぐにまた電話して病院きてね」
私:「はい」

と電話を切ったものの30分後くらいにはもう耐えられなくなり再度電話し、タクシーを呼んで病院へ向かった。タクシーを呼んだ頃から痛みがさらに増し、陣痛時は立っていられない程だった。でもアニーもいたし、気をまぎわらすこともできたし落ち着いていられた。病院到着、アニーも旦那様も一緒に分娩室へ。Drはまだ到着していない。NSTいう装置をつけられ私は分娩台へ。初分娩台!がやっぱり分娩台はきらいだーーー!!!と思った。だって、身動きとれないいいいい!!!!! 分娩時はなんだかよくわからずに産んでしまったけど陣痛時に分娩台の上にいて、NSTをつけられるほど痛みが増すものはないと思った。もっと身動きとれれば痛みがもう少し和らぐのに。。。なんて考える余裕はまだあったんだな、このときは。
看護師?助産師さんに質問をいろいろされながら(既往歴とかいろいろ)段々痛みは強くなっていき4分間隔になったくらいで(もう結構しんどい状況になっていた)Dr到着。内診したら子宮口7cmくらい開いていると・・・。しかし破水が未だせず、人工的に破膜して破水させたら一気に赤ちゃんの頭が降りてくるけどどうする?と聞かれ、そうしてもらうことに・・・。そこから、Dr&ナースたちはいろいろ分娩の用意をしだしてあわただしくなる。と、そこで先生が「そうね、6時半までには産まれるわね」と・・・わたしも旦那さまも「え?そんなに早く!?」と思わず返答。確か時計を見た時その時17時45分くらいだった。なんだかワクワクしだした。が、そんな余裕もほんの一瞬。Drの準備万端後、破水させて陣痛といっしょにいきみを開始。最初、いきみ方が全然うまくできなかった。先生が言うようにやってみるけど、なんか空回りしているぞ!?と思いながらも必至にやってみる。途中心配していた足がやっぱり攣ってしまい、そっちのほうが痛い・・・(笑)でもナースがマッサージしてくれたりして何とかのりきった。いきみだしてからたぶん数えるくらいしかいきんでいないのだけど、18時12分シュウは誕生した。アニーの時もそうだったが、うちの子たちは胎脂とか血とかほとんどついていないし、顔がゆがんでなくてとってもきれいだった。
シュウを胸元におかれ、感無量。
かわいすぎっっっーーーーーーーーーーーーーー!!!!
アニーも旦那様も既にメロメロ。。。小児科のDrがきてシュウを検査している間も片時もそばをはなれなずにニコニコしながらシュウを眺めていました。
さて、心配していたアニーはというと、一緒に旦那様と立ち会いました。でも私から少し離れていたので私はまったく状況がつかめませんでしたが、いきみだしたときDrとナースとかと一緒に数を1,2,3・・・と数えてくれていたとこはしっかり覚えています。私が陣痛時に「うーーー」とか言っていても結構そっちのけで自分のペースでお絵かきしたり、本読んだりしていたし取り乱すことは一切ありませんでした。よかった。。。この日の記憶がどんなふうに残るか興味ありますが。。。
分娩後、分娩室で少しゆっくりし、20時前にお部屋へ。すでに夜のためシュウはそのまま新生児室へつれていかれました。私は夕食が届いたものの気持ち悪くてほとんど食べれず、喉が渇いて水をすこし飲んで休みました。。アニーとパパは面会時間が終わったので帰宅。
多少疲れたもののあっという間の数時間だったので少々気持ち悪いながらも元気な私。とはいえ赤ちゃんの顔を眺めることもできずとりあえずその日は眠ったのでした。
入院時のできごとについてはまた後日更新します。(1ヵ月後にならぬようにがんばる…あはは)

誕生♪

2008年4月6日日曜日午後6時12分。
我が家に2900グラムの男児が誕生しました。
母子共に健康でアニーの時と同様スピード出産でございました。
こちらは出産の場合初産だろうと経産だろうと2泊3日の強制退院。。。
ということで火曜日には退院し、私とベビーは家でゆっくりしております。
旦那様が一時期帰国休暇に合わせて休暇をとってせっせと毎日家事に追われております。
そして今日からは岩手からはるばる母と東京から妹が到着。
母はたしか初海外♪どんな毎日になるのでしょう?
とりあえず、ご報告まで・・・

ま〜だだよ〜♪

更新もままならないと、みんながもう生まれてるんじゃないかとドキドキしてるんじゃないかって思うのでとりあえずご報告。まだ、のようです^^今週の検診では推定体重2600g、あと2週間くらいは大丈夫かな?って先生の診断をうけました。それよりも私の体重も一気に増え・・・それもそのはず、ここぞとばかりにビュッフェやら日本食やらランチしまくっていたので、ポーンと軽く1キロづつ増えたらしい。もうヤバいな。と思いながら友達とアップルパイを作って食べたり、パウンドケーキやらクッキーやら焼いたりしてスイーツは絶えず・・・ハハハ。こんなもんかな。アニーの時はご飯もお魚をよく食べたり、卵を控えたり、乳製品をちょっと制限したり割とマメにしてた食生活もここにくるとこんな有様。反省(ーー;)元気な赤ちゃんであることを願います。
出産するにあたり、いままで習っていた英会話(プライベートレッスン)をやめました。赤ちゃんが生まれた後も続けられればホントは良いのだけど先行き未定なのでとりあえず・・・来星してもうすぐ一周年。英語もすぐにスクールに通い始めたのでまる1年勉強しました。しかし、全然ですな・・・言葉につまるつまる!でも耳がずいぶん慣れた。アメリカ人のコンドミニアムに住むママとちょっと公園で話す時は半分以上理解不能のことがあり、ネイティブ人との会話にはずいぶん不安はあるけれど、まぁ来た時に比べたらシングリッシュなんて中国語にしか聞こえなかったからね。まだましか。そんな中、先日kinokuniyaで見つけた本をちらっとみるとナカナカおもしろくて、旦那様におねだり。会社のブックサービスを利用して↓を購入。

英語と仲直りできる本―ネイティブ講師が教える英語上手の秘訣

英語と仲直りできる本―ネイティブ講師が教える英語上手の秘訣

ネイティブ英語講師が書いた本。結構おもしろい。こういうことを教えてくれる英語の先生っていままでいなかったよな〜って思いながら読んでます。まだ途中だけど。。。まぁこれを読んだからといって上達にはほど遠いけど、役には立つ1冊だな〜って思います。アメリカにいる友人よ、どうどう?あとは自分の努力しだいよね。プライベートで教えてくれてた先生は「キッチンで料理しながら独り言いうときは全部英語にするといいわよ」って言ってたけど無理。やっぱり会話するのが一番のはずなんだよねー。もっと積極的にならねば〜。今年度の目標にしようかねー。

もう9ヶ月…と5年前

気づけば3月。私のおなかも9ヶ月、っていうかもう間もなく10カ月に突入する。2月の旧正月のあたりはベビーの動きがやたら激しくて痛いし、食事も沢山は食べれなくて時々気持ち悪くなったりしていたけれど、な〜んか最近ベビーも大きくなり動くスペースもなくなったらしく動きも緩やかになり、頭が下にさがったらしい。食欲倍増、食べて体重は増えるし、靴下の履きづらいこと!!!おなかもずいぶん大きくなった。でもあと1000g近くは大きくなるのだから、いったいどんなおなかやねん!!!ってつっこみたくなる。しっかし二人目妊娠までに5年もの歳月が過ぎると分娩たるものをすっかり忘れている。この間アニーを出産したときの状況を旦那様と思い出していたのだけど、思い出せない・・・。陣痛からはじまったのだけど前駆陣痛があって、それが前日だったのか、その日の夜だったのか思い出せなかった。ただ気持ち悪くって分娩室に行く前に吐いたことだけは覚えている。その分娩までの過程を出産後何かに書きとどめた記憶はあるけれど、それがなんだったのかも忘れた(意味なし、笑)。アニーを生んだ時の分娩所要時間は4時間。夜12時くらいから痛みが強くなって旦那様と病院に行った。病院ついて子宮口3cmくらいだったのかな?私より前に分娩中の人がいたので分娩室待ちで部屋で待機。気持ち悪くなって吐いたりして、もう痛いよ〜って助産師さん呼んだら分娩室も空いたし子宮口も全開大だったので移動。じゃあいきんでいいよ〜って言われてからいきんだ回数はたぶん数える程度のような気がする。。。楽しむ余裕はなかった。。。もう少し冷静になりたかったな〜という反省。旦那さまはニコニコしていた記憶。助産師さんに「立ってみたら?」って言われたのも覚えている。でももう立つ気がしなくて(めんどくさかった)そのまま生んだ。でも今思えば立っていたほうが冷静にもっとスルッと生まれたのかな〜っていう気もするんだよね〜。今回はできないけど・・・本当はやりたい。
アニーは超自然分娩で産まれたけれどたぶん今回はそうはいかない気がする。一応自然分娩の希望は出したけれど、シンガポールで産むという決断をした以上は郷に入っては郷に従えってやつで、なるようになるしかならないと思っている。ま、それも経験と思って身をまかせますかねー。アニーは幼稚園に行ってる時間でなければ立ち会わせる予定。ただDrにもいわれたけれど、女の子なので将来精神的にトラウマにならないようにケアをすることが大切だと改めて感じる。もし私が分娩中に取り乱して騒ぎまくったらきっとアニーは嫌な記憶としか残らないかもしれない、人間の記憶というものは嫌な記憶のほうが残りやすいのだ。そうなってしまったら、結婚しても子供を産みたいと思えないかもしれないのでそれは避けたい。最初はそこまであまり真剣に考えてなかったんだけど、最近アニーにはきちんと説明をしておかなきゃと思い、妊娠の本を使ったりして説明をしている。笑いながら聞いているけど果てさて結果はどうなることやら。。。
体調はすこぶるよろしく、ほぼ毎日出かけています(笑)ただ問題なのはアニーの時と一緒で足が攣ること。明け方浅い眠りの中で、「あ〜ここで足を動かしたら足が・・・」という状況でなんとかつらない方法をかんがえるのだけど、ちょっと動かした瞬間に‘ぴきっ’ときて・・・声にならない声で「いたいいたい」と一応叫んでいる。しかも最悪なのが両足いっぺんにやってくること。そしてつる筋肉がいつも一緒じゃないこと。とにかく最悪!ひどい!つらい!どうしていいかわかんない!という状態が痛いまま数分。。。結構長い時もあってしんどい。これが早くなくなってほしい。そのためには出産するしかなく、出産したら授乳が待っているのでどっちにしろ夜中起こされることは間違いなく、しっかり寝た気分にはなれないのが断乳まで続くだろうな。なんというかホントに二人目は待ちわびて〜という感じがあまりないので実感がいまだにない。4人家族になるなんて不思議だな〜なんて思ったりもして。さてさてどうなるんだろうね〜。生まれた後の生活は。自分の体は・・・現在体重増加7kg。産後授乳ダイエット…できることを願いたい(笑)。

旧正月の思い出

旧正月もすごい遠い過去・・・のような2月下旬・・・シンガポールは正月セールをまだダラダラ続けております。やっぱり2月は早かった!今年はうるう年なので29日まであるけれどそれでもやっぱり早い。私の体重も増える一方でお腹の子は元気に成長しております。現在1800gくらいと昨日の検診で言われました。二人目は破水から始まった!という人が回りに結構いますが果てさてどうなることやら・・・。

さて、旧正月中我が家は何をしていたかといえば、4日間中2日間もBBQをして毎日快晴だったのでプールに入ってダラダラと過ごしておりました。でも今年は結構お店も開いているところがあったので、食材などは問題なし!なんて便利な世の中になったんだろうねぇ〜。旧正月に入る前日の6日の夜。いわゆるこっちの正月料理!!!というものをごちそうになりに、おうちを訪問。奥さんはシンガポーリアンで旦那さまは日本人。1歳の子供がいて、奥さんが日本での生活も大変になってきたので、旦那様がこっちで就職し戻ってきたというわけ。子供の誕生日パーティーに呼ばれたのをきっかけに、何度もおうちをお邪魔していて、旧正月の話になりスーパーで売っている食材に私がどんな料理を作るのかって質問をしたら、「じゃあ今度わたしの実家でたべよう!」と誘われて、お言葉に甘えていってきました!

実家はいわゆる日本で言う公団住宅の一室。3LDKで現在は弟さんとご両親の3人暮らし。訪問した時には既に料理の準備がされていました。で、出てきた料理がこちら!八宝菜と通称「スチームボート」という鍋料理!


 

お父さんが丸2日間、丸鶏2匹を煮込んで作った特製チキンスープにいろんな食材を入れてさらにお母さんの手作りチリソースをつけて食べるというしくみ。食材は、フィッシュボールという魚のすり身のかまぼこ、魚、イカ、エビ、豚バラ、牛肉の薄切り、あわびの缶詰(スライスにして)、魚の胃袋!?、ナマコ、白菜、マッシュルーム、レバー。一人ひとり小さな網(茶こしのような)を渡されて、それに自分の好きな食材を入れて火が通ったら食べるのだけど、ナマコ、胃袋はさすがのわたしも食べたけど好きにはなれず、レバーは怖くて手がつけられなかった。でも特製チキンスープはかなりおいしかったし、そのチキンも食べたけどチョーおいしかった!あと、ダックも食べたけど、臭みがなくておいしくいただけてまたもやお腹いっぱいで帰ってきたのでした。中華系シンガポーリアンは旧正月中人が来るたびにスチームボートを出すのらしく、行く先行く先そればかりで段々飽きてくるらしい。でもたぶんその家々で違う味があるだろうし食材もちょっと違ったりするんだろうね。日本のおせちもそれぞれ違うように。。。来年は日本のお正月料理を食べてもらおうかな

下の写真はレバーと胃袋
  

離れ

5歳になったら・・・と去年から色々目標をたてていたアニー。その目標は

1.シャンプーハットなしで頭を洗えるようになる。
2.一人で別部屋でねる。

とこの2つ。
実際、5歳になったときは甥っ子達が遊びに来ていたので、別部屋は埋まっており2の目標は流れておりました。でも1の目標も「アニーできない〜〜〜〜」とグズグズ言ってはつける日々が続いていて”6歳になったら〜”とお流れ状態・・・。私も旦那様も、焦ることもないか〜なんて気長に考えいました。

ところが、何故だかわからないけどシャンプーハットを無しで突然できるようになったのです。とはいっても顔に石鹸や水がかかるのはいやなので上を向きながら洗うのですが、ちょっとやそっとお水にかかってもへっちゃらになりました。それ以降、シャンプーハットはお蔵行き。。。

そして更に、「アニー一人で寝る〜」と言い出す始末。。。「え?」まさかそんなことは有り得ないと思っていた親二人。。。最近わたしのお腹が随分出てきてダブルベッドとシングルベッドを並べて寝ていてもかなり狭苦しいし、そのせいか寝返りを出来ずにいると足が攣るわで明け方に大騒ぎ。そしてアニーはかなり寝相が悪くたまにお腹を蹴られることもあって、ちょっと促してみたらあっさり・・・5歳になりたての頃にあんなに「6歳になってから〜」なんて言ってたから絶対ありえないとは思っていたのに突然の心境の変化。親は☆ビックリ☆寝る前は本を一緒に読んで添寝をしたりしなかったり(というのもパパは本を読んだ後に部屋から追い出されるらしい)だけど、最近は朝までそのまんま。目が覚めて一緒に夜中から寝た事は2度くらいあったけどそれぐらい。あまりの成長にわたしも旦那様も寂しい感情が・・・「親離れ」ってこういう感じなのだと味わってます。ブラジルで幼稚園に行きだしたときもそうだったなー。さみしいね。

逆に無理しすぎてないのかな〜と心配にもなってますが、babyが生まれたらまた変わるかも〜なんて思ってます。しっかし、何事もアニーは(子供は)突然できるようになったりするのですごいね〜とシミジミしている今日この頃です。